2007年12月26日水曜日

タンザニアで出会ったおばあちゃん

(すみません!!!! 前回からかなりの時間がたってしまいました。。。
年末の仕事でかなりバタバタしておりました。申し訳ありません。)

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タンザニアの北西部にあるビクトリア湖に近いマラ県ムソマ郡にあるムキリラ村。
ビクトリア湖と言えば、映画「ダーウィンの悪夢」の舞台となった地です。

一人のおばあちゃんに出会いました。
彼女の名前はアナスタシア・ニャブレゲシさん(73歳)。

女性の平均寿命が44.1歳のタンザニアで、
73歳って言ったら、かなりのご高齢です。

このおばあちゃん、5人のお孫ちゃんを育てています。
この5人のうち、3人はアナスタシアさんの娘さんのお子さん、
2人は息子さんのお子さんです。

なぜこのアナスタシアさんがお孫さんを育てているかというと…
娘さんも息子さんもエイズで亡くなったためです。 9歳、4歳、2歳と3人の息子を残した娘さんは結婚をしていませんでした。
3歳の息子と2歳の娘を残した息子さんは結婚をしていたものの、
彼の妻は出産の際に亡くなったそうです。

自宅で出産をしようとしていた時、大量出血になり、
異常に気づいて、急いでクリニックに運んだのですが、手遅れでした…。

クリニックは10kmも先にあり、歩いたら軽く2時間はかかります。
実際に、タンザニアにおける妊産婦死亡率の大きな原因は「手遅れ」であると
言われています。
アナスタシアさんは、じゃがいもやキャッサバと呼ばれる
タピオカの原料になっているお芋を育てています。
言い換えれば、この岩の多い痩せた土地では、それらの作物しか育たないのです。

週に1回、彼女はバケツ1杯の芋を知人に頼みマーケットへ売りに行ってもらいます。
それを売っても50円~100円。

つまり、彼女の月収は300円にも満たない程度です。
世界の絶対的貧困の基準は1日1ドル以下で生活をしている人のこと。
アナスタシアさんの場合、300円で彼女と5人の孫が生活をしているわけですから、
一人、1か月1ドルにも満たないわけです。

もちろん、彼女たちは、自らが作ったお芋も食べています。
でも、お芋だけでは栄養のバランスが良くないのは明白ですし、
彼女たちが生きていく上で、必要なのは食事だけではありません。
洋服や、靴、その他日用品を購入するためのお金も必要です。

しかし、彼女の収入では、それがいかに難しいかということを
想像するのは難しくありません。

洋服なんて、もってのほかです。
洋服は、必需品の中でも、後回しにされがちなものだからです。
なので、この村の孤児たちは、そのほとんどが、
ボロボロで穴だらけの服、または体に合わない服を着ていました。

そして着替えがないために、服を頻繁に洗うこともままなりません。
でも、汚れた服を着ていることで、皮膚病になったり、
汚れた服を着たお母さんの母乳を飲んだ赤ちゃんが、
下痢になってしまうことも少なくありません。

そこで、ジョイセフは、日本救援衣料センターというところと協力をして、
タンザニアに救援衣料を送っています。

この村にも、私たちが訪れたこの日、救援衣料が届けられました。
この衣料をもらえるのは、この村で何らかの理由で
両親を亡くしてしまった孤児たち。

社会の中だけでなく、家庭の中においても一番後回しにされるのは、
アナスタシアさんたちのような女性や子どもです。

この日、救援衣料は子どもたちに直接手渡されました。
そうやって一人一人、大勢の人がいる前で手渡さなければ、
子どもたちの手には渡らない可能性があるからです。

子どもは100人以上いますので、気が遠くなるような作業です。
でも、社会の中で後回しにされているような人たちに
支援がきちんと届かなければ意味がありません。

「ムワコンディア」

この村の部族が使う言語で「ありがとう」
そう言いながら、子どもたちは嬉しそうに衣料を受け取ります。

日本では、Tシャツひとつにしても、
何着もあるのが当然の世界。

シーズンが来るたびに、ついつい買ってしまうお洋服。
結局ほとんど着ることなく、タンスの肥やしになっていたり、
捨ててしまうものも少なくありません。

「豊かさ」って何なんでしょうねぇ。

◇   ◇   ◇




この村で出会った20歳の妊婦ノシさん。
クリニックが遠いため、自宅で出産する予定だそう。
ノシさんはこの時7か月。
無事にノシさんも赤ちゃんも生まれたのか、気になります。

2007年11月29日木曜日

タンザニアってどんなとこ?

すぐに書こうと思っていたにも関わらず、時間が空いてしまってすみません。

さて、タンザニア。

タンザニアと言われて、その場所がピンと来る人は少ないのではないでしょうか。
そもそも、タンザニアって・・・どこ?
アフリカであるというのは、わかるけれど。

でも、タンザニアではピンと来なくても、
キリマンジャロと言えば分かる人は多いと思います。

キリマンジャロと言えば、ヘミングウェイの小説の中にも出てくるし、
なんと言っても、キリマンジャロ・コーヒー。
誰しもが、耳にする、もしくは口にしたことがあるのではないでしょうか。

タンザニアは、キリマンジャロや、それこそ多くの方が 「アフリカ」と言われて 思い浮かべるであろう、サバンナとライオンやシマウマやキリンと言った野生動物がいる 複数の国立公園がある、自然豊かな国です。

(アフリカの全土にキリンがいるわけじゃないんですよ~。本当に限られた地域のみです^^;)

まさに、私たち日本人が多く思い描く、アフリカOFアフリカ!

国土は日本の約2.5倍。
人口は日本の約30%弱。

(…こう考えると、日本って本当に人口密度高いですよね…。)


他のアフリカの地域に比べ、タンザニアは政治的にとても安定した国です。
それにも関わらず、妊娠や出産が原因で亡くなる女性の数は日本の260倍。
政治的に安定しているからと言って、妊産婦さんたちが亡くなる数が、
簡単に減るものではないようです。

さて、タンザニアに関する簡単な紹介はこんなところまで。
次回は、いよいよタンザニアで見てきたもの、聞いてきたものをご紹介していきます!
 ◇   ◇   ◇ 

タンザニアの一番大きな都市ダル・エス・サラーム
(なぜか首都ではない^^;)に着陸するぞ~というとき。
真っ青でエメラルドグリーンの海!

私はアフリカ大陸に足を踏み入れたことはあったものの、 タンザニアは初めて!
正直アフリカでエメラルドグリーンの海って 想像していなかったので、そのリゾート地のような綺麗さに驚きました!





そしてタンザニア、虹が出るわ出るわ!
一体何個の虹を見たかしら?というくらい。
しかも虹の全景が見えてブリッジ型になっているのが見える上、 虹が二重にかかっている、ダブルレインボー、見ました。





ちょっと見にくいですが、ダル・エス・サラーム市内には日本からの中古車もたくさん走ってます。
これは乗合バス。
『ようちえん』と書いてあります。
日本の幼稚園バスだったようです。笑

2007年11月13日火曜日

はじめまして!

みなさま、こんにちは!初めまして。
chicoと申します。

ジョイセフでは何をやっているのかと申しますと…
一言で申し上げるのが大変難しいのですが、
国内でみなさま(個人、企業等)からご支援頂いたもので、途上国の支援をしている部署です。

いわば、日本社会と途上国の橋渡し的な位置かもしれません。^^

日本の方からご支援頂いている内容としては
例えば・・・・
1) 使用済み切手やカードなどの収集ボランティアによるご支援
2) チャリティ・アイテムご購入による支援
3) 募金によるご支援
4) ランドセルや学用品等の物資+輸送費支援  etc.etc.

これらの日本からのご支援によって途上国で
世界の母と子の健康と命をまもるホワイトリボン
の活動を行っています。

先月は、タンザニアに出張に行ってきましたので、
ジョイセフのホワイトリボンのプロジェクトが実際にどんなものなのか?
そして、現地の様子についてお伝えしていければなぁと思っています!

つたない文章で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします!
今日のところは、まずご挨拶まで。

2007年11月5日月曜日

子育てお母さん恐るべし!?

さて、子育ての一環としてうちの嫁さんがやっていることについてちょっと書いてみます。

何をしているかというと、、、子育て支援などお母さんを支援する活動や機関紙の発行を通して、生活に密着した問題についてお母さんたちに知ってもらい、一緒に考え、そして政治へ働きかけて行こうという活動をしているNPOの会員として、いろいろやっているようです。

ここでいう生活に密着した問題というのは、例えば、小学校を30人学級にすること、乳幼児の医療費支援の給与の上限を撤廃すること、子どもの医療費支援を高校生まで引き上げること、児童保育の拡充など、特にお母さんとなって初めて実感するようなそんな問題です。

NPOの活動でぼくが面白いなと思ったのは、子育て支援のいろいろな活動を会員のお母さんたち自身で企画し実行するというところです。例えばうちの嫁さんの場合、週一回、公民館で幼児サークルを開いて子どもたちとお遊びをするわけですが、どんな遊びをするか、私はあれができる、私なら何々と、参加するお母さんが自分ができることを自発的にやるわけです。強制はありません。参加費はひとり数百円でほとんど材料費で消えてしまう程度のお金です。

ここで大事なのは、このサークルの前代表(本人曰く、下っぱの下っぱ)のうちの嫁さんが言うには、「みんなが自主的に企画してできることをできる人がやることで、自分は1人じゃないんだよ、お母さん一人じゃなくて子育てはみんなでやればいいんだよというメッセージを伝え、お母さん同士の結びつきを作っていく」こと、だそうです。

その他、うちの嫁さんがやっているのは、キッズ英語。幼児を中心に小学校低学年まで、歌って踊って楽しく英語を勉強しよう!というクラスだそうで、こちらは嫁さんが中身を考えてやってます(さとうも嫁さんが訳した絵本の英語のチェックとかで少し強制的に自主的に準備を手伝ってます…)が、ここでもメッセージは同じです。

NPOでは、こうした子育て支援から、対象も乳幼児から高校生・大学生まで、高齢者支援にいたるまで、いろいろな活動を会員のお母さんたちが自分たちで企画して実施していて、その過程でお母さん同士のコミュニケーションの中で今の社会を考えていく、、、そして必要なら署名活動をして市長や市議会議員に直接訴えていく、ということで、、、子育てお母さん恐るべし、です。

最後に、このような活動をやっていく中で、嫁さんが難しいと思ったこと、感じたことを二つほど。それは、安易な方向を選ぶお母さんが増えているということ、だそうです。安易なこととは、例えば、幼児サークルといった試みはいろいろな所でやっているわけで、自分も企画に参加してできることをやるという、ある意味、無償の労力を提供する参加型サークルより、誰かがすべてお膳立てしてくれてお母さんは子どもを連れて来て遊ぶだけでいいというサークルに流れていくお母さんが少なくないそうです。

もう一つは、身近な生活に密着した問題について不満を口にはするものの、行動を起しても何もかわらないだろうと井戸端会議だけで満足してしまう、無関心型のお母さんが、これも少なくないということ。こういうお母さんたちの関わりをどうやって作って促していくか、、、が嫁さんの今の課題だそうです。

いやあ、繰り返しになりますが、子育てお母さん恐るべしです。
子育てお父さんがここまでできるか、、、少なくともさとうは自信がありません。公園でブランコの順番を守らなかったり、お砂場で人のものを取ったりするような子どもにはよその子でも怒ったりはしますが、せいぜいそこまで止まりで、「社会」を変えようというところまでは、、、考えが及んでいないというのが正直なところです。そういう意味で、うちの嫁さんはすごいことをしているなと、尊敬して応援しています。時々晩ご飯のおかずが一品しかなくても許してやろう、、、と。

でも、たとえNPOに参加していなくても、お母さんたちは日常生活の中で、多分無意識に、さも当たり前のように、お母さんにやさしい社会(=人にやさしい社会!)の実現に向けて、「何か」をやっているんでしょうね、、。

マザー・ディクショナリーのお母さんのみなさんはどうですか?

2007年10月12日金曜日

子育てお母さんの奮闘

みなさん、こんにちは。
今回ブログメンバーで唯一の少しは子育てしている(つもりの)パパとして、パパの視点から、あえてこんなタイトルで書いてみようと思います。

そもそも、日本の文脈でよく使われる、子育てへの「参加」とか「協力」とかいうような言い方はあまり好きではありません。男性が子育てすることは、女性が子育てをしているのに参加するものでもなく、嫁さんの子育てに協力するものでなく、男性がすべきこと、したいと思うことをやるという当たり前のことだと思うので。ここまで書くと、さとうはやるべき子育てを100%完璧にこなしているかのような印象を、持たれてしまうかもしれませんが、そんなことはないです。よく嫁さんに、「家族計画国際協力財団(ジョイセフの正式名称)で働いているのに嫁さんを大事にしない!子育て放棄!訴える!」と怒られます。「じゃあ、ジョイセフの相談窓口のさとうさん、内線○○○に電話しなさい。」と切り返すことしかできないさとうなのです。

妊娠・出産の先にある子育て。お子さんがいるみなさんは既に経験済みでしょうが、子育てを始める前に想像していたイメージとは結構違うことがありますよね。例えば、公園デビュー。幸い、うちの嫁さんは外向的で人付き合いをそれほど苦にしないタイプだったので問題はなかったらしいですが、人付き合いが下手だと思っていたり、育児疲れで精神的に不安定になってたりすると、決して小さいことではないかもしれません。

そして、同じ年頃の子どもを持つお母さんたちとのつきあい。結婚したときにももちろん世界が広がりますが、子どもができると更に世界が広がりますよね。幼児サークルとか保育園・幼稚園。それまでは、あのお母さんは合わないからあまりつきあわなくてもいいと避けることができたのが、子ども同士が仲良しなので、本当は気がすすまないけど避けられなくなるということも多いと思います。これが仕事であれば、利害が絡むがゆえにお互いに割り切ってつきあうことができますが、お母さん同志のつきあいは利害が絡まないがゆえに、余計大変だと思います。

こういう時、お父さんは何ができるか。悩みます。特に家族計画国際協力財団で働くお父さんとしては。なるべく無理はするな、ほどほどにつきあえ、本当に理解しあえるお母さんは少しいればいい、子育てのお母さんグループにのめりこむな、自分のグループを持て、云々。とはいえ、今の世の中、正直者がばかを見るというか、理不尽だろうが何だろうが声を大にした人間の言うことが通ってしまうような社会や人間関係が増えている中、子育てお母さんの苦労は並大抵ではないと思います。お父さんができることは、月並みだけど結局は話を聞いて一生懸命考えることぐらいしかないのかなあ、と思う次第です。

2007年9月21日金曜日

切迫早産の話

こんにちは、さとうです。ずいぶん日にちが経ってしまいました。今日は身近な話題について書いてみたいと思います。とはいえ、本当に身近な話でうちの嫁さんの出産の話です。

「切迫早産」という言葉をたぶんみなさんご存知だと思います。治療をせずにほっておくと早産になってしまうという状態のことで、病気として扱われます。うちの嫁さんがまさしくこれで、それも絶対安静の症状でした。(見た目は頑丈なんですけどね、、。)上の娘と下の娘の妊娠の時、両方とも切迫と診断され、即入院。絶対安静ということで、お腹の張りを押さえるために24時間ウテメリン点滴の状態がもういつ出産してもいいよとお医者さんに言われるまでの3ヶ月間続きました。

そして、出産。1人目は立会い出産をしました。3ヶ月間、不安の中本当によく辛抱して、無事3000グラムを超える女の子を出産。言葉では表現できないくらい大きな感動でした。一つは命の誕生に対して。そして、もう一つは、嫁さんに対して「本当によくがんばった」という思い。「よくがんばった」を何回言っても足りないくらい「よくがんばった」。

2人目の時は、切迫となることを既に予期していたので心構えができていたというか、嫁さんが言うには、母親の自覚を1人目の出産の時より強く持てていたので、何が何でもお腹の子を十分に大きくして出産する!という決意が大きかったそうです。

うちの嫁さんは、日本だったからこそ無事に出産できました。これが、もし途上国だったら無事に出産できなかったと思います、、、ちなみに、これが、僕がジョイセフに入ることになったきっかけです。

2007年9月20日木曜日

パキスタンの月と星

やっと最近、ハリー・ポッターの最新版が手に入ったので、毎日目がかすむまで読んでいました。昨日読み終わって、大満足!

さて、今まで辛い話ばかりでしたので、今回はパキスタンの希望の星について。
パキスタン訪問では、いろんな施設を訪問しましたが、その中に「加藤シヅエセンター」というところにも行きました。お気づきの通り、加藤シヅエさんは日本の方です。アメリカのマーガレット・サンガーさんという家族計画を広めたひとに感銘を受け、日本でも運動を広めたパイオニア的存在の人です。炭鉱の劣悪な環境のなかで、出産せざるを得なくて、命を落としていった女性たちをどうにかして助けたい!と強い意志をもって、当局の圧力にも負けず、女性のために一生をかけた方でした(ジョイセフの会長さんもしていて、なんと104歳まで生きておられました。ご長寿!)。
そして、彼女の活動に感銘を受けたパキスタンの女性が、加藤シヅエさんの名前を冠した女性のための施設を作りたい!と言って、パキスタンにいくつか作ったのが、この「加藤シヅエセンター」なのです。
相田みつをさんが書いていました。人を動かすのは難しい理論ではなく、感動なんだな、と。まさにそんな感じの出来事ですよね。

いくつかあるセンターのうち訪れたひとつは、地震の被害が大きな地域にありました。でも、このセンターだけは、崩れずに残ったとのこと。日本政府の支援も入って建てられたものということで、かなり造りがしっかりしていたようです。ここでは、女性のための職業訓練(裁縫、手芸など)や作ったもののマーケティングなどをしています。私たちの訪問スケジュールが予想外に長引き、約束の時間を随分過ぎたのに、加藤センターで学んでいる女性たちは、ひたすら私たちを待っていてくれたのです。その心根にも感動しましたが、なんだかパァーッと目の前が開けるような感じを受けたのは、そのセンターの雰囲気がとても明るかったからでしょうか。それまで訪れた場所は、女性だけが集まっている場所でも、わりとしんと静まりかえっていたのです。でもここは、キラキラしているようでした。ザワザワしてうるさいわけではないのですが、そこにいる女性たちがとてもにこやかに作業をしていたのが印象的な空間。このセンターを運営している人たちも、とてもイキイキと仕事をしていました。

その中で、センターで裁縫を学び、今や人に教えるまでになった女性に話を聞かせてもらえました。
彼女は、裕福な家に育ち、悠々自適に暮らしていたところ、突然の地震で両親と家をなくしてしまいました。家にも戻れないし、助けてくれる両親もいない。彼女と下の弟たち二人の避難生活で、途方にくれていたそうです。そんな時に、ある人(通りすがりのおばさんだったらしいです)が加藤センターのことを教えてくれて、もしかしたら何かあるかもしれない!という希望を胸に訪れたのが最初だったとのこと。そこでは、刺繍や裁縫を教えてくれるということだったので、弟たちを勉強させてやりたい、学校を出させてあげたい、と思っていた彼女は、刺繍を学んで商品を売って、生計を立てることを決心しました。彼女はメキメキと腕をあげ、とても良いものを作るまでに成長し、ひとり立ちしていきました。今では、加藤センターに自分の作った商品を卸しにきたり、今学んでいる女性たちに教えたりしています。そして彼女だけの力で弟たちを学校に通わせているそうです。

こちらが、その彼女です。
これは彼女のつくった、(たぶん)テーブルクロス。あの辺の地域独特の刺繍が全体に施されています。
ちょっと恥ずかしがっちゃって下を向いているのでよく分かりませんが、ものすごく目に力がありました、彼女。ちょうど少女漫画に出てくるような目の中に星がキラキラしている感じです。彼女の目を見て、ああ、こういう人たちが国を背負っていくんだな、と実感しました。国を「率いて」いく人たちはごく一部かもしれません。でも国を背負うのは、市井に生きる人々であり、身近な人たちのために一生懸命働いている人たちだと思います。


生きることを大切にし、愛する家族を想う、たくさんの彼女たちが、隣の人に生きる力の種をまき、そしてその人がまた自分の隣の人に種をまく。そういう小さな変化の連鎖が、前に進む原動力になるのでは、と思います。


パキスタン国旗の、三日月は進歩、星は光と知識を示すそうです。パキスタンの月と星が、人々に幸せをもたらしますように。




パキスタンの女性についてのお話は、ひとまずこれでおしまいです。
次のお話をお楽しみに!

2007年9月7日金曜日

暴力のすえにあるもの

またかなりご無沙汰してしまいました。3週間、休みも週末もなしでした。。。さすがにちょっと疲れています。

今回は、とても辛い経験をされたひとのお話です。
パキスタンでは暴力がとても多いそうです。しかも、非常にシビアな形で出てくるようです。「名誉殺人」という言葉を聴いたことがある人もいらっしゃるかもしれません。名誉殺人というのは、女性が、「家族の名誉を汚した」という理由で殺されるということです。「名誉を汚した」行為というのは、例えば、親の決めた相手とではなく好きな男性と結婚したいといって駆け落ちするとか、不純な関係を結んだとか。私には、殺される理由としては到底理解できないものでした。でも、家族(主に男性)がこういった理由で名誉殺人を犯しても、ほとんどが逮捕されないどころか、社会はそれをむしろ容認しているようです。

私がイスラマバードの女性支援センターで出会った女性は、真っ黒のベールを頭からすっぽりかぶり、目の下もベールで覆い、そしてサングラスをかけていました。横には小さな男の子が寄り添っていました。彼女は、20歳代前半で結婚、3人の子を産みましたが、夫が働かず、暴力も振るわれていました。もう離婚するしかないと決心したものの、なかなか同意してもらえず、離婚のためにお金をせびられたそうです。必死にお金をかき集めても、まだ要求された金額をわたせずにいたところ、元夫が子どもに会いに訪れ、一晩とまっていった夜、事件はおきました。すでに寝入っていたところを、何かの液体をかけられ、焼けるような激痛に目を覚ましました。でも、真っ暗で何も見えず、自分の体が焼け爛れていることが、触ってやっと分かったそうです。彼女は、元夫から硫酸をかけられたのです。近所の人に助けを求め、病院で治療を受けましたが、今も彼女の右目は全く見えず、左目は影が動く程度なら分かるくらいでしかありません。最後にベールをはずして見せてくれましたが、両目はほとんど真っ白で、また耳も一部がとけてなくなっていました。鼻もつぶれ、首から胸、腕にかけて皮膚がただれていました。今も、硫酸が目に残っているそうで、まだ目が痛くてしょうがないと彼女は言っていました。そして、胸につきささった彼女の言葉は、「生き延びたけれど、いっそのこと殺してくれれば良かったのに」。。。

隣に寄り添っていた2番目の息子で12歳の男の子(12歳とは思えないほど小さかったです)が、彼女の手をひき、病院にいくにも買い物にいくにもついてきてくれると、唯一の救いのように彼女は語っていました。でも、彼の目は悲しみと怒りでいっぱい。いつか父に同じことを仕返ししてやりたい、と。

こんなひどい話ですが、少しだけ希望がもてたのは、彼女が「殺してくれれば・・・」と言いながらも、強い意志をもって生きようとしていたことでした。やはり子どもがいて、支えとなる人がいると強くなれるのでしょうか。

彼女たちの話を私は今でもどうとらえていいかわからないでいます。この話がされていたとき、私は通訳としてそこにいました。だから、悲しみや辛さで、言葉をつまらせるわけにはいかず、感情の弁を閉ざした状態で立っていました。でも、感じていたものはあったんだと思います。それがずっと今も身体の中をぐるぐるしている感じがします。
具体的に彼女のケースに対して、世界中で起こっている暴力に対して、どうすべきかはよく分からないけれど、できることは、自分の周りにある暴力の連鎖を断ち切ること、連鎖を起こさないこと。よく、「知る」ことが重要、と言われます。知ったからってどうなるの?って思うこともあるのですが、知っていたら、彼女の思いに共感した瞬間を覚えていたら、自分や友だちが暴力を受けたり、逆に暴力(身体的だけじゃなく、言葉でも)を振るう側になったりしたときに、間違ってるって言ったり、思ったりするきっかけになると思うのです。日本でもDVがエスカレートして殺人に至ることがありますし、自分の身の回りで、できることもある。
それから、暴力を撲滅しようと努力している人たちもいるということ知っておくこと。緊急支援ほど注目を浴びませんが、UNFPAやいくつもの現地NGOは地道に啓発活動を続け、暴力を受けた人たちの救出に力を尽くしています。そういったところに日本のODAが使われるのは、いいことだなと思います。

暴力が思いのたけをぶちまける手段にならないことを祈って。

2007年9月6日木曜日

子育て中のファーザーです。

みなさん、こんにちは。
現在子育て中(5歳と2歳の娘です。)のファーザー(まだまだ30代)、さとうです。
家でも会社でも女性に囲まれ、大変な、いや、幸せな毎日を過ごしていますが、
ジョイセフ唯一の子育て中のファーザーとして、これから
いろいろとコメントしていきたいと思うので、よろしくお願いします。

2007年8月2日木曜日

瓦礫のなかにたたずむひと、駆けつけるひと

みなさんは、約2年前のパキスタンでの地震を覚えていらっしゃいますでしょうか。
今回、パキスタンに訪問した際には被災地にも訪れる機会がありました。
パキスタン地震は、2005年の10月8日に発生したもので、外務省によれば被害は「死者約73,000人以上、負傷者約80,000人以上、被災民約330万人」にものぼったそうです。
途方もない人数のかたが被災されましたが、この一人一人に家族があり、友人があり、生活があり、夢があったことを思うと、胸がつぶれそうでした。今もまだ多くの人々が家を失ったままで避難生活を続けています。




この女性の自宅は、地震で壊れてしまいました。彼女が立っているのは、家があったところです。現在は、この崩れた家の前にテントらしきものをはって、生活しています。その生活も、牛のミルクを売って生計をたてているとのこと。

今も、様々な国際機関やNGOがパキスタンで震災後の支援を続けているようでしたが、隅々まで充分行き届いているとは言いがたい状況でした。「緊急支援」というのは災害が起こってから数ヶ月くらいで引き上げられてしまうものがほとんどだと思います。でも実は、復興にはかなり長い時間がかかります。神戸の震災でも被災した人たちが家をみつけてプレハブの仮設住宅が完全になくなるまでも、数年かかっていました。

加えて復興には、人間が生きていく上での全ての事柄に支援が必要になります。住宅や水、食べ物、そのほかのライフラインだけではありません。女性はその間も妊娠し、出産します。また、毎月生理だってあるし、そのための生理用品も必要になります。そういったことへの支援は、結構、見落とされがちなのだと思います。でも、パキスタン地震の場合は、UNFPAが被災地に入った最初の機関だったそうで、見落とされがちな女性のニーズにいち早く対応したとのこと。例えば、女性ひとりひとりに、衛生キットを(スカーフ、石鹸、タオル、ガーゼ、など)配付。因みにこのキットには日本からの緊急支援が使われていて、大きな日の丸が入ったキットが21万個配られたと聞いています。また、病院が崩壊したり、元々なかったような場所への巡回医療サービスを提供。大きなバンにお医者さんを乗せて被災地をぐるぐる廻っています。

それから、プレハブの小さな小さなクリニックを造り、そこに女性の医師を派遣することもしています。パキスタンでは、女性は男性の医師に診てもらうことはできません。ですから、妊娠・出産に関しては、女性の産婦人科医でなければなりません。私たちが訪れたクリニックには、地震が起きた次の日から支援のために別の地域から駆けつけたという女性医師が休みなしで働いていました。2人でクリニックのすぐ横に建てられた住宅用プレハブに滞在し、24時間体制をとっているとのことでした。




休みなく、過酷な状況で働いているにも関わらず、笑顔がとても美しい2人の女性たちでした。上の写真のピンクと黄色のスカーフを被っているお二人です。顔は見えませんが、オレンジの服を着ているのは有森さん。

月並みですが、人を想い、使命感をもって頑張っている彼女たちのような人たちがいることに、少し希望が見えました。







2007年7月31日火曜日

パキスタンの女性たち


初めまして。マコです。最近同じ名前のネコの写真集を見つけて、密かに自分の分身と思ってマス。

ミッチが最後に書いてから随分、間をあけてしまいました。ごめんなさい。パキスタンの後すぐベトナムに出張していて遅くなってしまいました。

さて、ちょこっとだけ自己紹介です。ジョイセフに入ってから6年。
その間、議員さん向けに情報提供のための勉強会を開いたり、ジョイセフと同じ目的で世界規模で活動している国際家族計画連盟(IPPF)の東京連絡事務所の役割をしたりと、わりと裏方の仕事をしておりました。


今回は、初めて国連人口基金(UNFPA)の親善大使をしている有森裕子さん(あの、元マラソンランナーの、バルセロナオリンピックで銀メダル取った方です!)のパキスタン視察に同行してきましたので、そこで出会った女性について何回かに分けてお話したいと思います。

パキスタンというと皆さんが思い浮かべられるのは、何でしょう?
私が思い浮かべたのは核兵器でした。最近、自爆テロや政治不安によるデモなどでメディアを賑わせていましたが、とにかく何も知らないので、怖いイメージしかありませんでした。ということで、飛行機の上でもドキドキでした。

でも実際、飛行機を降り立ってみたところ、みんなとても親切でしたし、そこここで危険と隣り合わせということは、少なくとも私たちがいる間はありませんでした。ただ、一歩外に出ると、やはり様々な「差」に目が行きます。

まず、外を出歩いている人は、ほとんどが男性であるということ。
女性が、1人で外に出歩くというようなことは滅多にありませんし、女性と男性が混在しているということもほとんどありません。女性と男性は、生活の基盤が別々の場所に設けられているのです。

また、常に40度台(!因みに私が経験したパキスタンでの最高気温は48度!!!)の気温の中でクーラーの利いた建物の中で過ごしている人もいれば、ただ熱く重い空気をかきまぜるだけの扇風機で我慢せざるを得ない人たちもいます。

首都のイスラマバードや、観光都市として有名なラホールでは、スカーフを頭から被っていない女性や半そでのシャルワカミューズ(伝統衣装)を着ている人たちもいましたが、農村地域では女性はほぼ必ず、スカーフを被り、長袖で、カメラを向けるとそのスカーフで顔を隠してしまっていました。女性は、なるべく肌や身体の線、髪などを隠すことが礼儀とされているようです。
(ただ、この衣装、「差」を感じさせるものだけでもなくて、50度も超えるような気候にはわりと理に適っているのです。ジリジリ焼けそうな太陽の下では長袖長ズボン、スカーフを頭から、という格好の方が暑さをしのげるし、だぶだぶの状態の方が、風が通って滝のような汗にも耐えられます。こんな中で私はとても洋服は着ていられませんでした。。。)

それに、都市部では堂々と英語で話す人にも多く会いましたが、村の方では、必ずといっていいほど、現地語であるウルドゥー語と英語の通訳が必要でした。

教育、経済、地域、男女。。。いろいろな差や区別、壁などがある中で、常に前を向いて一生懸命生きている、パキスタンの女性たちを紹介していきたいと思います。

と、ここまで書いたところですでに長くなってしまったので、続けて何回か投稿していきますので、宜しくお願いします~

今日の写真は、シャルワカミューズを来た女性たち。極彩色!

2007年7月4日水曜日

出産時に必要な最低限の分娩キット。

ずいぶんとご無沙汰しちゃいましたね。(ごめんなさい・・・)
今日から、数回に分けてジョイセフの妊産婦支援活動を紹介します~。

これまで、途上国の多くの女性たちが、妊娠・出産時に亡くなっている(寿命も短い・・・)・・・
その理由が、
日本をはじめ、先進国で生活していると、想像がし難い理由ばかり。
村に病院がない、
出産を介助できる専門知識のある人もいない、
不衛生な環境、
栄養失調、貧血
無知(必要な情報を得られない)、
嘘の迷信や慣習を信じている・・・

などがあげられると書きました。



さて、下の写真を見てください。
この赤い箱は何だと思いますか?

これは、ちょうどトランプの箱くらいの大きさの紙でつくられた箱です。




絵から、なんとなく、
お母さんと赤ちゃんのための何か
であることは想像できると思います。


そうです!

これは、お母さんと赤ちゃんを救う箱なんです。

箱の下の方に

MCHという英語がありますね。

その意味は、まさに、

Maternal (お母さん)
Child (子ども)
Health (健康)


この箱の中に、下記のような6つの道具が入っています。

これが、実は、ネパールで使われている
お母さんが自宅で出産する際に「必要最低限な分娩キット」
なのです。



ちょっと画像だと小さくて見えにくいですが、

左側から順に、
この道具は何なのか解答していきますね。



左から


① 安全かみそり

② (500円玉くらいの大きさの)白いまな板

③  へその緒を縛るひも

④ 手を洗う石鹸(茶色の)

⑤ 土間に敷くビニールシート

⑥ このキットの使い方説明書

無医村の村に住む女性たちが、自宅で安全に分娩できるように・・・
作られたキットです。

途上国の多くの女性は、自宅で分娩するけれど、出産に関する正しい知識を持っていない。
だから、中には、お母さんと赤ちゃんをつなぐへその緒を、
道端に落ちている尖った石や、ガラスの破片、竹や、草刈鎌で
切ってしまうため、
破傷風になって、お母さんも赤ちゃんも命を落とす、という話も聞きます。

それから、字が読めない女性たちにも、わかるように、
このキットの説明書は、で大きく解説されています。

ジョイセフは、このような自宅で分娩する際に必要なキットを、


現地で活動するジョイセフと同じようなNGOと協力して、村の女性一人ひとりに配布しています。


配布の際に、ただ配布するだけでなく、


正しくキットが使われるよう、そして危険な出産を予防できるように、下記のように村中のお母さんたちを集めて研修会を開いて、教育・トレーニングをしています。

続きは、次回に~☆

2007年6月20日水曜日

たった6%の女性だけが、(専門的知識を持った人による)出産介助を受けられる・・・エチオピア

みほさん、Pandaさん、まさよさん、皆さん正解です!

って、
正解してもうれしくないクイズですよね。(--;;)

みなさん、産院、病院で産んだ経験をお持ちとのこと。

ミッチも病院で生まれたし、きっとこれから自分が出産するとき時も、病院か助産院を希望すると思います。
たとえ、ミッチが自宅分娩をしたいと思ったとしても、助産師さんがきっと隣に居てくれないととても出産する気にはなれない(独りでなんて絶対産めない!)と思います。

日本に居たら、たいていそう思いますよね??


エチオピアでは、100人中6人の女性しか、専門的な知識を持った人による介助が受けられていないのです。

なぜだと思います??

村に病院がない、あっても、50km以上も離れた隣町まで、出向く必要がある(道も舗装されていないし、陣痛が始まったら到底間に合いませんよね)、当然村にはお医者さんも助産師さんも居ません。

100人中96人のお母さんが、自宅の土間や家畜小屋、暗い納屋で、分娩しているという状況です。
途上国では、お産は不浄なものという迷信があるところも多く、人目の付かない場所や、不衛生な暗室で行われる場合もあります。

・・・・想像するだけで怖いですよね。


介助をしてくれる人がいるとしたら、それは、近所の伝統的なお産婆さんです。

ただ、間違った迷信や、言い伝えが、信じられていて、
アフガニスタンなどでは、「女性の膣に灰を塗ると産後に良い」などと、
恐ろしいようなことを信じられているところもあります。

こうした間違った言い伝えや、慣習が、女性の死をもたらしている一因でもあります。

専門的な知識をもった人が介助しないと、出産時の対応を誤り、お母さんと赤ちゃんが繋がっているへその緒を、道端で落ちている石や、小枝、ガラスの破片などで切ってしまい、それが原因で、お母さんも赤ちゃんも破傷風になって死んでしまう・・・と言ったことが、頻繁に起こっています。


想像してみてください・・・・

こうして、私がブログを書いている間、世界では1分に1人の女性が、ここに書いたような原因で、亡くなっています。
この数は、ジャンボジェット機(500人乗り)が、毎日3機墜落しているということになるんです。

でも、戦争やテロのように、この事実が、新聞やニュースで騒がれたりしない。。。

なんとかしたいです。この現実。
そして、もっと多くの人に知ってもらって、日本人の私たちにできることをやっていきたいーーってしきりに思ってしまうミッチです。

次回は、こんな状況を少しでも改善しようとジョイセフが活動していることを
少しご紹介しますね。

2007年6月15日金曜日

途上国のMothersクイズ2

前回の平均寿命のクイズは、みなさん、たいへん驚いたようですね。

29歳が平均ってことは・・・もっと若いときにに亡くなっている人がいるということ。
ミッチも初めて聞いたときは、本当に信じられない・・・と思いました。

ただ、この結果をもたらしているであろういくつかの原因を、
実際に現場に行って目の当たりにする機会が増えるにつれて、
「なるほどなぁ。。。」と認めざるを得ませんでした。

途上国=貧困だから、と一言でいえる起因ではなく、日本では想像しがたい環境や慣習など、いろいろな原因が複雑に織り交ざって、女性の健康を害したり、死をもたらしていることがわかりました。


さて、今日も、ちょっとだけ途上国の現状を知るクイズを出しましょう~。


その前に、

マザーの皆さんは、どこで出産しましたか?
病院(産院)ですか?
助産院ですか?
それとも自宅ですか?


日本では、お産をするときは、
現在、
100%(100人中100人のお母さんが)、お医者さんや、助産師さんのような専門技能者の介助を受けて行われています。


東アフリカにあるエチオピアでは、
100人のお母さんのうち何人のお母さんが、
お医者さんや助産師さんの介助を受けて出産しているでしょうか。



A. 6人

B.26人

C. 56人 



正解だと思った答えは、簡単な理由と一緒に
コメント欄んに入れてもらえるとうれしいです~~(^v^)

2007年6月8日金曜日

女性の平均寿命29歳(世界で一番女性の寿命が短い国スワジランド)

マザーメンバーの皆さん、ご解答ありがとうございましたー。

残念ながら、皆さん全員不正解ですぅ。。。
でも、すっごく皆さんの気持ちがわかるミッチです。

これは、2006年の世界人口白書の統計データによるものですが、
南アフリカにあるスワジランドという国は、女性が29歳、男性が31歳。

生物学的にいえば、女性のほうが男性よりも寿命が長いものなのですが、
この国では、女性の寿命の方が短いです。

それにしても、29歳という数字を聞いて、ミッチも本当にビックリしました。
日本の女性の平均寿命の1/3ですよー!!

この低い寿命の1つの原因として、
妊娠や出産が原因で、女性が多く亡くなることがあげられています。
思春期の少女の妊娠や、不衛生な環境でのお産、多産など、栄養失調や貧血・・・
たくさんの起因があります。

それに加え、ミッチがもっと驚いたのは、
スワジランドの場合、15-49歳の若い女性のHIV感染率が40%だというのです。
(男性は26%で、はるかに女性の感染率のほうが高い・・・)
日本の女性の感染率は、男性より低く、0.1%以下だと言われます。

統計を見ると、スワジランドの場合、年々女性の寿命が少しずつ短くなっていることが気になりました。

HIVに感染してエイズで亡くなる人も増えているのではないでしょうか。。。

ただ、統計と言っても、この数字、
途上国の場合は、正確ではないんですね。
実際は、もっともっと悲惨な状況なのかもしれないです。

ミッチも、取材に行く度に、ショックを受けるのですが
日本と同じアジアにある、
インドネシアも、フィリピンも、ベトナムも、農村に住む女性は、

「自分の年齢を知らない(わからない)・・・」
 
と答える人が多いんです。
読み書きもできない女性もいます。

話し出したら止まらなくなってしまうミッチですが、
今日の本題は、「寿命」ということで、ここまで!
感想はもちろん、
質問や気になること、なんでもいいので、ぜひぜひコメントくださいね!

2007年6月1日金曜日

途上国のMothersクイズ1

まず、今日は、クイズを出します!

では、いきますよ。(^^)

今、日本は、世界で一番、女性の寿命が長い国です。(ちなみに、86歳です。)

さて、世界で一番女性の寿命が短い国の平均寿命は何歳でしょう?

A.49歳

B.39歳

C.29歳

ぜひ、みなさんコメントでご解答ください。

答えは・・・もったいぶって,次のブログでー。(^v^)

2007年5月31日木曜日

遅くなりました。あまりパソコンがうまくないのでここまでくるのがやっとでした。毎日パソコンが開けられませんが、がんばって参加していきたいと思います。これまでに出会った様々なお母さんたちを思い返すといろんな意味ですごいな~と思います。これからいろんな話や考え方に出会えることを楽しみにしてます。これから仮眠して深夜勤務にいってきま~す!

2007年5月29日火曜日

いよいよ始まります!

こんにちは。ジョイセフのミッチです。

ついに始まります!(予定より1ヶ月も遅れちゃいましたね。ごめんなさい・・・)
今日から、素敵なmotherたちと、楽しくトークできるかと思うとワクワクしています。

ミッチは、NGOジョイセフに入って早4年。
普段は主にWEBやイベントの担当をしている一広報担当です。
年に1-2回途上国へ取材に出かけます。
世界中のmotherたちが、Happyになれば、きっときっと地球上に住む私たちみんながHappyになる~!と信じて、
途上国の女性がおかれている現状を、まずは、日本の多くの人に知ってもらって、
みんなで支援を呼びかけてもらおうと、ミッチは日々奮闘中です。

この仕事をしてから、たくさんの素敵なmotherたちと出会う機会に恵まれて、
プライベートでも、ミッチも早くmotherになりたいーという気持ちが日増しに強くなっています。(これ、本音です。)

このブログでは、motherのみなさんに、ぜひぜひ、日々の日常生活での、本音トークを語っていただき、近い将来(?)のミッチの参考にしたいという傍ら、
日本では信じがたい途上国のmotherのお話も、ぜひ語らせてもらって、日本のmotherのみなさんに率直なご意見を聞きたい・・・
という、とーっても欲張りなブログにしたいと思ってます。

みなさん、どうぞよろしくお願いします!(^v^)