初めまして。マコです。最近同じ名前のネコの写真集を見つけて、密かに自分の分身と思ってマス。
ミッチが最後に書いてから随分、間をあけてしまいました。ごめんなさい。パキスタンの後すぐベトナムに出張していて遅くなってしまいました。
さて、ちょこっとだけ自己紹介です。ジョイセフに入ってから6年。
その間、議員さん向けに情報提供のための勉強会を開いたり、ジョイセフと同じ目的で世界規模で活動している国際家族計画連盟(IPPF)の東京連絡事務所の役割をしたりと、わりと裏方の仕事をしておりました。
今回は、初めて国連人口基金(UNFPA)の親善大使をしている有森裕子さん(あの、元マラソンランナーの、バルセロナオリンピックで銀メダル取った方です!)のパキスタン視察に同行してきましたので、そこで出会った女性について何回かに分けてお話したいと思います。
パキスタンというと皆さんが思い浮かべられるのは、何でしょう?
私が思い浮かべたのは核兵器でした。最近、自爆テロや政治不安によるデモなどでメディアを賑わせていましたが、とにかく何も知らないので、怖いイメージしかありませんでした。ということで、飛行機の上でもドキドキでした。
でも実際、飛行機を降り立ってみたところ、みんなとても親切でしたし、そこここで危険と隣り合わせということは、少なくとも私たちがいる間はありませんでした。ただ、一歩外に出ると、やはり様々な「差」に目が行きます。
まず、外を出歩いている人は、ほとんどが男性であるということ。
女性が、1人で外に出歩くというようなことは滅多にありませんし、女性と男性が混在しているということもほとんどありません。女性と男性は、生活の基盤が別々の場所に設けられているのです。
また、常に40度台(!因みに私が経験したパキスタンでの最高気温は48度!!!)の気温の中でクーラーの利いた建物の中で過ごしている人もいれば、ただ熱く重い空気をかきまぜるだけの扇風機で我慢せざるを得ない人たちもいます。
首都のイスラマバードや、観光都市として有名なラホールでは、スカーフを頭から被っていない女性や半そでのシャルワカミューズ(伝統衣装)を着ている人たちもいましたが、農村地域では女性はほぼ必ず、スカーフを被り、長袖で、カメラを向けるとそのスカーフで顔を隠してしまっていました。女性は、なるべく肌や身体の線、髪などを隠すことが礼儀とされているようです。
(ただ、この衣装、「差」を感じさせるものだけでもなくて、50度も超えるような気候にはわりと理に適っているのです。ジリジリ焼けそうな太陽の下では長袖長ズボン、スカーフを頭から、という格好の方が暑さをしのげるし、だぶだぶの状態の方が、風が通って滝のような汗にも耐えられます。こんな中で私はとても洋服は着ていられませんでした。。。)
それに、都市部では堂々と英語で話す人にも多く会いましたが、村の方では、必ずといっていいほど、現地語であるウルドゥー語と英語の通訳が必要でした。
教育、経済、地域、男女。。。いろいろな差や区別、壁などがある中で、常に前を向いて一生懸命生きている、パキスタンの女性たちを紹介していきたいと思います。
と、ここまで書いたところですでに長くなってしまったので、続けて何回か投稿していきますので、宜しくお願いします~
今日の写真は、シャルワカミューズを来た女性たち。極彩色!
ミッチが最後に書いてから随分、間をあけてしまいました。ごめんなさい。パキスタンの後すぐベトナムに出張していて遅くなってしまいました。
さて、ちょこっとだけ自己紹介です。ジョイセフに入ってから6年。
その間、議員さん向けに情報提供のための勉強会を開いたり、ジョイセフと同じ目的で世界規模で活動している国際家族計画連盟(IPPF)の東京連絡事務所の役割をしたりと、わりと裏方の仕事をしておりました。
今回は、初めて国連人口基金(UNFPA)の親善大使をしている有森裕子さん(あの、元マラソンランナーの、バルセロナオリンピックで銀メダル取った方です!)のパキスタン視察に同行してきましたので、そこで出会った女性について何回かに分けてお話したいと思います。
パキスタンというと皆さんが思い浮かべられるのは、何でしょう?
私が思い浮かべたのは核兵器でした。最近、自爆テロや政治不安によるデモなどでメディアを賑わせていましたが、とにかく何も知らないので、怖いイメージしかありませんでした。ということで、飛行機の上でもドキドキでした。
でも実際、飛行機を降り立ってみたところ、みんなとても親切でしたし、そこここで危険と隣り合わせということは、少なくとも私たちがいる間はありませんでした。ただ、一歩外に出ると、やはり様々な「差」に目が行きます。
まず、外を出歩いている人は、ほとんどが男性であるということ。
女性が、1人で外に出歩くというようなことは滅多にありませんし、女性と男性が混在しているということもほとんどありません。女性と男性は、生活の基盤が別々の場所に設けられているのです。
また、常に40度台(!因みに私が経験したパキスタンでの最高気温は48度!!!)の気温の中でクーラーの利いた建物の中で過ごしている人もいれば、ただ熱く重い空気をかきまぜるだけの扇風機で我慢せざるを得ない人たちもいます。
首都のイスラマバードや、観光都市として有名なラホールでは、スカーフを頭から被っていない女性や半そでのシャルワカミューズ(伝統衣装)を着ている人たちもいましたが、農村地域では女性はほぼ必ず、スカーフを被り、長袖で、カメラを向けるとそのスカーフで顔を隠してしまっていました。女性は、なるべく肌や身体の線、髪などを隠すことが礼儀とされているようです。
(ただ、この衣装、「差」を感じさせるものだけでもなくて、50度も超えるような気候にはわりと理に適っているのです。ジリジリ焼けそうな太陽の下では長袖長ズボン、スカーフを頭から、という格好の方が暑さをしのげるし、だぶだぶの状態の方が、風が通って滝のような汗にも耐えられます。こんな中で私はとても洋服は着ていられませんでした。。。)
それに、都市部では堂々と英語で話す人にも多く会いましたが、村の方では、必ずといっていいほど、現地語であるウルドゥー語と英語の通訳が必要でした。
教育、経済、地域、男女。。。いろいろな差や区別、壁などがある中で、常に前を向いて一生懸命生きている、パキスタンの女性たちを紹介していきたいと思います。
と、ここまで書いたところですでに長くなってしまったので、続けて何回か投稿していきますので、宜しくお願いします~
今日の写真は、シャルワカミューズを来た女性たち。極彩色!
2 件のコメント:
一番最初の海外旅行がパキスタンで
極彩色や街の様子が懐かしいです。
イスラーム圏なので厳しい規律も
残っているのでしょうね。
そんな中で美しく潔いブット元首相
の活躍が憧れでした。
いろんな報告楽しみにしています。
pandaさん、一番最初の海外旅行がパキスタンって珍しいですね!私が行く前は、ガイドブックも2001年を最後にアップデートされたものがないほどだったので、なかなか行こうと思う人がいないのだなと思っていました。pandaさんの旅行記も是非聞かせてくださいね。
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