2009年1月27日火曜日

その2~HIV陽性であることをカミングアウトしたエスピナさん~ 

昨年ザンビアを訪問したときに、HIV陽性者のエスピナさんという女性に出会いました。エスピナさんは、当時33歳で、3人の子どもの母親。2006年に夫を亡くし、その後自分がHIVに感染していることを知り、HIV陽性者が支えあうサポートグループのメンバーになりました。サポートグループに入り、自らがHIVであることをカミングアウトし、地域でのHIV予防の啓発活動を行っているのです。2回目に結婚した夫は、HIV陽性者で同じサポートグループのメンバーでしたが、2007年に亡くなりました。

エスピナさんのように、エイズで夫に先立たれたり、また離婚したり、職を失ったり、一人で子どもの面倒を見なければならないHIV陽性の女性が多く、経済的にとても困難な状況があります。ザンビアの女性の間での言葉で、「エイズは数ヶ月、もしくは数年は生きられる。でも飢餓に直面すると、家族も自分自身も明日生きていけるかわからない。」との言葉がありますが、困難な現状を強く物語っていると思います。

そんな状況の中でもエスピナさんは、「私はポジティブに生きたかった。自分の経験をシェアすることによって、一人でもHIV/エイズで悲しむ人を減らしたい。またHIV/エイズへの差別や偏見もなくしたい。」と語る彼女の小さな身体から湧き出る力強い意志と生きるエネルギーを感じ、勇気をもらう想いでした。仲間同士で支えあう姿が、地域の人々を動かす原動力になっていることが強く心に残っています。

このようにHIV陽性の女性たちをエンパワメントしよう!と始めたのが、Save Mother from AIDS キャンペーンの一環で行っている「ヤギさんプロジェクト」です。ヤギのつがい(オスとメス)を贈ることによって、ヤギを育て、増やして、ヤギを売り、収入を得ることによって経済的な自立へのサポートを行っています。みんながポジティブに生きられるようにとの想いを込め、昨年は23人のHIV陽性の女性にヤギのつがいを贈りました。

ジョイセフは、昨年11月24日(月・祝)に、「エイズで悲しむお母さんを0人に!~アフリカのHIV陽性の女性の現状はいま・・・私たちにできることはなんだろう?~」と題してエイズデーイベントを開催しました。ゲストには、女優の一色紗英さん、昨年ザンビアを訪問した建築家の遠藤幹子さん、ジョイセフの石井澄江事務局長によるトークイベントを行いました。アーティストである一ツ山チエさんによるヤギのディスプレイとフォトグラファーの今西礼子さんによるザンビアの写真パネルによって、アフリカの青い空と広大な大地の雰囲気が漂う、とても素敵な空間が創りだされました。当日のトークは、ポッドキャストによってこちらより
現在配信中ですので、是非聴いてみてください!
http://www.joicfp.or.jp/jpn/aids/event.shtml

2009年1月23日金曜日

エイズで悲しむお母さんを0人に!その1~エイズと女性の状況~

サハラ以南アフリカでは、エイズの影響が最も深刻な地域であり、エイズが死亡原因の第1位を占めています。世界中の成人HIV陽性者の3分の2人以上(68%)と、HIVに感染した子どもの90%以上がこの地域に集中しています。

ザンビアのHIV感染率は、15歳から49歳の成人人口のうち17%(*2006年の国連機関の推計)がHIV陽性者と推定されており、そのうちの約57%が女性です。ちなみに、サハラ以南アフリカの地域でみても、成人のHIV陽性者の約61%が女性なのです。また、都市部の妊婦さんのHIV感染率は25%、農村部では12%との結果が出ています。都市部では、4人の妊婦さんに1人の割合でHIVに感染している状況なのです。

働き盛りの担い手が亡くなっていく一方で、ザンビアでは60万人のエイズ遺児が報告されている現状ですが、このような状況を皆さん想像できるでしょうか?

エイズは、現在「女性の感染」が深刻化しており、特に若い女性への影響が深刻です。その理由の一つには、女性の方が生殖器の粘膜面が広いことや精液中のウィルス濃度は膣分泌液中のウィルス濃度より濃いこと、などにより女性の方が感染しやすい生物学的な理由が挙げられています。

二つ目の理由としては、男女で教育や雇用の機会が平等でない現状があり、特に、若い女性や少女は、情報や保健サービスに手が届きにくく、男性よりも教育を受ける可能性が少なく、経済的な依存性や貧困につながり、性的な関係でも強制や暴力を受けやすい現状があります。

そして、三つ目には、一夫多妻や妻以外との複数女性とのセックスが男性には容認され、安全なセックスを男性に要求できない、またはしにくいこと、が挙げられています。

「処女の女の子とセックスをするとエイズが治る」という迷信をよく耳にします。ある調査結果によると、「25%以上が蚊によって感染する」、「22%が魔女から感染する」、「15%がHIV陽性者と一緒にご飯を食べることによって感染する」など間違った認識をしている人がまだ多く存在しているのです。



このような状況のもと、ジョイセフではHIV予防啓発活動を草の根レベルで現地のNGOであるザンビア家族計画協会(PPAZ)を協力団体として推進してきています。ジョイセフのプロジェクト地区には、村から選ばれた住民を保健ボランティアや伝統的助産師(TBA)として育成し、これまで家族計画を中心に、栄養改善などを含めたリプロダクティブ・ヘルス活動を推進してきました。

住民による保健ボランティアやTBAが、病院や医者がいないアフリカの多くの村では、村のクリニックと村の住民を繋ぐ重要な役割として担っているのです。

そして、エイズの問題が深刻になる中、保健ボランティアやTBAにHIV/エイズに関する研修を行い、これまでのリプロダクティブ・ヘルスにHIV/エイズを統合させた形で、村での家庭訪問や紙芝居を使った啓発教育活動を推進しています。特に、HIV陽性である妊婦さんが子どもに感染させることのないようTBAを対象とした母子感染予防研修を実施してきました。HIV陽性である女性、陽性でない女性、誰もが安心して出産できるような環境づくりに取り組んでいます。

2009年1月22日木曜日

ザンビアについて

みなさん、初めまして。syuです。
長らく更新が遅れてしまい本当に大変申し訳ないです!!!
ジョイセフに入ってから、アフリカやアジアでのプロジェクトに関わってきてきました。現地での経験をもとに、途上国の状況やジョイセフの取組みについて国内の多くの方に広めていきたいと思っています!

これから、何回かにわたり、ザンビアとHIV/エイズと女性について、ご紹介していきたいと思います。

まず「ザンビア」と聞いて思いつくことは何でしょう?アフリカにある国、としか想像できないかもしれません。南部アフリカに位置し、8つの国に囲まれた内陸国です。気候は大きくは雨季と乾季に分かれていますが、比較的ドライで過ごしやすい気候です。

日本とのつながりで思い出すのは、10円玉。銅が特産であるザンビアですが、日本も10円玉に使う銅を輸入していたそうです。ザンビアのこちらの国旗を見ていただくとわかる通り、緑は農業、羽を広げたわしは自由と困難に打ち勝つ能力を表し、赤は独立闘争、黒はアフリカ人、オレンジは特産の銅を象徴しているとのこと。

ジョイセフが20年近くプロジェクトを行っている地域は、コッパーベルト州といって、首都のルサカから北西へ車で4時間。コッパーという名前の通り、銅の鉱山が多く存在する地域です。

The Real Africa、本当のアフリカと呼ばれるザンビアは、広大な平原と世界最大の人工湖カリバ湖、ビクトリアの滝、17以上の国立公園を持つ自然にあふれた国です。日本の2倍の広さの国土に人口が約1,000万人。
ビクトリア湖を訪問した際は、4月でちょうど雨季が終わりの頃。水がいっぱいに溢れている滝を見ることが出来ました。レインコートを着ていても全身びしょ濡れになりましたが、青い空の下でマイナスイオンをいっぱい浴びて気持ちよかったです!  

2008年5月15日木曜日

色とりどりのクレヨンの描く夢




アフガニスタンシリーズ3回目は、アフガニスタンのクレヨンのお話です。

ジョイセフはランドセルやクレヨンなど学用品をアフガニスタンに贈る活動をしています。ジョイセフが学用品を送っているのは、ナンガハール州の奥地の村々の青空教室の学校です。前にもブログに書きましたが、この地域はは内戦がとても激しかった地域で、道路や建物が壊れてそのままになっている荒廃した地域です。お店もなく買い物は行商のおじさんたちから買うような場所ですから、子どもたちは絵柄のついた学用品やクレヨンを見たことがありません。

色んな色があるんだねー。真赤なザクロを書こうかな。
そう言いながら女の子たちは隣の子の絵を見ながら真似したり、くすくす笑ったりしています。
「あなたのお母さんを書いてみて」とスタッフがお願いすると、大きな家と鳥を書いています。おかあさんは家で鳥の世話をしているのかな。

嬉しそうな子どもたちの笑顔を見ると、もっとたくさんのクレヨンや画用紙をプレゼントしたい!と思います。食糧や薬、水ももちろん必要です。でも女の子たちがクレヨンを使ってお母さんを描くことができるなんて、素敵だと思いませんか?


サイダール君2年生10歳













シュグラさん10歳

モハッド・サビール君3年生13歳


                                                                   
                                              
                                               
ワグマさん2年生9歳


















短いですが動画です。

2008年3月26日水曜日

ケシではなくバラの花を

春ですねー。ジョイセフのオフィスの前のお堀の桜も五分咲きです。週末の代々木公園での花見が楽しみだなー♪日本に住む私たちにとって、桜って特別な花ですよね。卒業とか、入学とか、就職とかいろいろなことを思い出しますね。


アフガニスタンの人たちにとって特別な花は何でしょう。
それはバラの花なんだそうです。アフガニスタンはバラの自生地で、1970年代にはバラの油を輸出していました。人々はバラを愛し、家の前に植えていました。今でもバラはアフガニスタンで最も人気のある花のひとつです。赤いバラは愛する人に、黄色いバラは別れを告げる時に、捧げるんだそうです。(*^^*)


ジョイセフが2002年から母子保健を支援しているナンガハール州の農村は、前回のブログに書いたように、多くの女性や赤ちゃんが亡くなっていますが、母子の栄養改善のために、内戦の終わった乾いた土地を耕し野菜や果物を栽培することも支援しています


「おいしいザクロがなりました」「カボチャも大きく育ちました」そんな報告が届いていた2005年のある日、「バラを育てたいんだ」突然現地のNGOのババックさんから要望が届きました。
「どうしてバラなの?お金になるのかな?」そんな私の疑問に、ババックさんは「バラはアフガン人にとっての心の花なんだ。」と言うのです。換金することを考えた私って、心が乾いてるなーと反省です。(^^;

ババックの家族(奥様は残念ながら写っていません)


翌年にはトップの写真のような美しいバラの写真が何枚も送られてきました。ババックさんは嬉しそうに「バラ園ができたら、真っ先に妻を連れていくよ」と言っています。もちろん赤をたくさん植えたのだとか。



23年に渡る内戦で破壊され、ソ連軍が残した地雷が多く埋まるこの土地は、耕すのだって大変です。内戦が終わっても、干ばつと洪水の繰り返しで、村人たちの苦労は裏切られてきました。荒れた土地でも簡単に育ち、お金になるものは。。。多くの農民がケシ栽培に手を染め、現在ではナンガハール州の全22県中、19県でケシの栽培が確認されています。(※)
ケシ栽培の様子

ケシではなくてバラを。地雷ではなく心の花を。そんな村人の気持ちを一緒に応援し続けたいと思っています。

※アフガニスタンは世界のケシの生産の87パーセントを占め、ケシの栽培で不法に外国に輸出される取引価格はアフガニスタンの国内総生産(GDP)52億ドルの内、61パーセントの27億ドルに相当すると推定されている。

2008年3月11日火曜日

アフガニスタンのお産の話


皆さん初めまして。ワカです。

今日から一か月アフガニスタンについて書きます。


写真のぐるぐる巻きの赤ちゃんはアフガニスタンのジョイセフが支援するナンガハール州のクリニックで生まれた赤ちゃんです。


今日はお産の話です。

ジョイセフが支援しているアフガニスタンの農村地域では、ほとんどの女性が自宅で出産します。出産の際には村に根差す産婆さんが立ち会ってくれます。もちろん超音波の機械なんてありませんから、写真のような聴診器を使います。

(アフガニスタンの農村ではまだまだ女性が肌を見せて写真に写ることはタブーなので、写真にはおなかだけ写っています。)


家族に見守られ幸せなに出産できるはずの女性たちですが、悲しい現実があります。妊娠や出産で母親が死に至るケースが多いのです。その数は日本の330倍。世界で2番目に悪い数字です。


<早い結婚と多産>
アフガニスタンの農村では女の子たちは十分な教育を受けないまま、12~3歳で結婚を始め、出産が始まります。多く産む女性が尊敬されるため子どもを毎年産みます。アフガニスタンでは一人の女性が一生に産む平均子ども数は7.18人です。(日本は2006年に1.26人)




<慣習と迷信>
出産は村の産婆さんが立ち会います。産婆さんたちが信じる妊娠・出産に関わる慣習や迷信の中には母親と赤ちゃんに危険なものが多くあります。


迷信の例
・へその緒を石の上に乗せてナイフで切って赤ちゃんの首に巻くと健康な子が育つ
・分娩中に母体のお腹をお椀で押しせば赤ちゃんが出やすくなる。
・異常出血もかまどの灰や地面の土を塗ると止まる。

その他、出産は他人に見られてはいけない不浄なこととされているため、牛やヤギを飼う家畜小屋で隠れてひっそりと行われます。女性は日常的に他の男性に顔を見せたり肌をさらしたりすることはできないため、母体に危険な状態が生じても、男性の医者が多い病院で容易に診察を受けることさえできません。




そのような状況を少しでも改善するために、ジョイセフの支援により、村にクリニックが建設され、現在女性の医者も勤務しています。母親たちは少しずつ産前の検診を受けにきたり、産後に赤ちゃんの予防接種に来たりするようになりました。


まだまだ自宅で産む女性が多い地域ですので、自宅で出産する際に介助する産婆さんたち正しい知識を知ってもらう研修も行っています。

次回はアフガニスタンのバラのお話です。お楽しみに!

2008年2月1日金曜日

美味しい支援の方法って?!

さて、私がダラダラ続けてしまったタンザニア編も今回で最後です。
(飛び飛びの連載で申し訳ありません…!)

実際に日本の皆さんからのどんな方法で、タンザニアに支援が出来るのか?
方法は、色々とありますが、中でも、みなさんが手軽に出来て、なおかつ美味しい!
というジョイセフが自信を持ってオススメできる、お得な支援をセレクトしてみました!

゜*・☆.。ジョイセフのフェアトレード・キリマンジャロ・コーヒーを飲む!.。☆・*゜

みなさん「フェアトレード」という言葉を耳にされたことはありますか?
「フェアトレード」とは直訳すれば「公正貿易」ですが、
途上国などで作られた産品や製品を、適正な価格で購入することで、
「搾取」的なものではなく、公正な取引をするというものです。

コーヒー豆のような第一次産品は主に途上国に頼っていますが、
コーヒー豆の価格は、国際市場価格によって大きく左右されます。
そして、その価格は、どんどん下がっているというのが現状です。

つまり、現時点においては、現地の農民たちは、
コーヒー豆を非常に安い値段で買い叩かれてしまっているのです…。

私たちも、スーパーに行けば安いコーヒーが手に入りますが、
流通される前の、農民たちに渡っているお金は本当に微々たるものです。
例え安く買い叩かれていても、貧しい農民たちは、
目の前に現金収入をちらつかせられると、
その値段で売ってしまうのです…。

通常、フェアトレード・コーヒーと言えば、コーヒー豆を適正な価格で買ってきて、
それを売るという構図が一般的です。
でも、ジョイセフのキリマンジャロ・コーヒーの仕組みはちょっと違うのです。

① コーヒー豆を適正な価格(市場価格より高い価格)で買う。

② 日本でフェアトレード・コーヒーとして売る。

③ その小売価格の10%を積み上げ、現地の保健プロジェクトに還元する。

つまり、豆を高く買う+その利益を現地に還元するという2重構造なんです。

なぜそんな小難しい構造にしているの?
だったら、最初に豆を買う時にもっと高い値段で買ってあげればいいじゃない!

そう思われる方がいるかと思います。
でも、そうすることは、とてもリスクが伴うのです。

というのも…

現金収入がなければ、現地の人たちは生活が出来ません。
お金は必要です。

でも、一度に現金収入が入ってしまうと、男性たちはそのお金を手に、
町に繰り出し、お酒や女性と遊ぶのに使ってしまうのです。
(日本では、一家でも女性がお金の管理をしているところも多いようですが、
タンザニアでは男性が全てのお金の管理をしているところが殆どだそうです)

そして、町で遊んだ結果、夫はHIV/AIDSを始めとする性病などに感染し、
家に戻ってきた後、妻に感染させるという悪循環があります。

ですから、お金は必要ですが、本当に必要なところにお金を回すためにも、
ジョイセフはこうした二重構造で、フェアトレード・コーヒーを扱っています。

そして、キリマンジャロ地区は、ジョイセフの正にプロジェクト地。
ジョイセフでは、保健ボランティアさんたちにコーヒーの苗木を配り、
保健ボランティアさんたちは、自宅の庭などでコーヒーの木を育てます。

以前にも述べたように、保健ボランティアさんたちは決して裕福なわけではありません。


でも、ボランティアをしている間は、働けませんよね?
働かなかったら、生活が出来ないし、気になってボランティアに集中出来ません!

そんなのはちっとも持続的ではないですよね。
ですから、少しでも換金作物を育てることで、
彼らは安心して保健活動にも打ち込めるという仕組みです。

特に最近は、農薬を使わなくても害虫に強いオーガニックの苗木を配っています。
元々ボランティアさんたちは農薬を買うお金はなかったのですが、
これなら農薬を使わなくても、出来高量が多いのです!
これって、地球にも、体にもやさしいですよね。

あと、これは宣伝になってしまいますが、ジョイセフのコーヒーって、
注文を受けてから焙煎をするので、新鮮で本当に美味しいんですよ。

焙煎したての新鮮なコーヒーって、香りはもちろんですが、
お湯を注いだ瞬間の泡立ちが、全然違うんですよね~。
ジョイセフに入って、ちょっぴりコーヒー通になった私です(笑)


スペースの関係で、コーヒーのみのご紹介になってしまいましたが、
他にもお手軽にご支援頂けるものはあります。
例えば…ティンガティンガ(ポストカードやおしゃれなスクリーンセーバーがあります)と呼ばれるタンザニア発祥のポップアートや、
エコバッグ(Save Mother from AIDS)なんかがあります。
オーガニック・コットンで作られたエコバッグは最近種類も増え、おしゃれ~!

◇    ◇    ◇

さてさて。
これまでにお伝えしてきたすべてのこと。
これらはすべて、「ホワイトリボン」に直結しています。

出産キットや保健ボランティアさんたちは明白ですが、
救援衣料、再生自転車、コーヒー、ティンガティンガと、
一見「途上国のお母さんと赤ちゃんの健康とどうつながっているんだろう?」と
思われるものも、「ホワイトリボン」につながっているんだろいうことを、
少しでもお伝えすることが出来たなら、とても嬉しいです。^^

つたない文章にお付き合いくださいまして、
本当にどうもありがとうございました!


+ + + + + +

【おまけ】

日本から送られた自転車や救援衣料を寄贈するときには、
コンテナごと寄贈をします。
そのコンテナは、海上輸送も持って下さっている日本郵船さんから
頂いているのですが、このコンテナがクリニックなどに大変身!

このコンテナが…

こんな風に大変身! ↓ ↓ ↓

コンテナによって作られたクリニックで体重測定。

ドアも窓もちゃーんとついていて、結構立派なんです。

日本の自転車、アフリカで大活躍!

タンザニアで、妊婦さんたちが亡くなってしまうことの原因のひとつは何でしょうか?

不衛生なお産。それもあります。
栄養が足りていない。それもあります。
HIV/AIDSなどの感染症によるもの。それもあります。

ひとつ、統計にも載っていないものがあります。
それは、手遅れです。


知識がありません。

遠い病院に行くためのアクセスがありません。

妊娠をしても、ケアをしてくれる人材がありません。


主に、これら3つの不足から、処置や発見が遅れてしまうのです。
「手遅れ」で亡くなってしまうお母さんたちがたくさんいるのです。

* * *

そのことは、頭では分かっていました。
でも、今回タンザニアに行って、そのことを実感してきました。

どこの村に行くにも、とにもかくにも遠い!!!!

そのことを特に実感したのは、モロゴロ州というところにある、
ムフンブウェ村に行った時でした。

なにしろ、塗装が全くされていないガタガタ道。
私たちのチームのワゴン車やジープはまるで震度MAXの耐震車。
生きていて、こんなに頭の脳みそがかき回されたことがあったのか?!
というくらい、あまりにもな凹凸道。
車の窓ガラスに頭をガンガンぶつけながら行きました。

こうした着いた村に、ジョイセフはクリニックを立てたのですが、とても納得。
こんな遠いところから、病院までなんてとても行けない!!!

それまでは、こんな風に運んで、何キロもある道を歩いて、
やっと車のある通りに出るのだとか。
でも、車のある通りに出ても、そこから町に出るまでは、
またしてもあのガタガタ道を通っていかなくてはなりません。

健康体の私でさえ、あんなに辛かった道。
あの道を、病人や妊婦さんが通って病院に行く…?
これは大変!!!!

検診を受けるためには、そんな凸凹道を通らなければなりません。
でも、そんなの危険だし面倒ですよね?
なかなか検診を受けようとするお母さんがいないのも納得です。

そこで!
ジョイセフは、豊島区を始めとする13の自治体と一緒に、
駅前にある放置自転車で、誰も引き取り手がなかったものを、
綺麗に再生し直して、途上国に送っています。

タンザニアには1989年から2007年までの間、6425台の自転車を送り続けてきました。
その自転車は、タンザニアで保健の活動をしてくれているボランティアさんや
研修を受けた伝統的助産師さんが、各家庭を訪問したりする時に使っています。

ひとつの村と村だけでなく、ひとつの家々が離れているので、
自転車に乗ることによって、効率よく回ることが出来ます。
さらに、急に産気づいたお母さんや、急病人を運ぶことが出来る
救急二輪車としても大活躍するんです(^^)/

このボランティアさんたち、自分たちも決して裕福な生活をしているわけではありません。
でも、この村の人たちのためになることをしたい。
この村のお母さんたちを救いたい。
そう思って活動しています。

そして、自転車は、村の人々の年収にも相当するものです。
自転車、特に日本の「ママチャリ」と呼ばれる自転車に乗っていることで、
「あぁ、あの人は村のために働いてくれている保健ボランティアさんだ」と
村の人たちから感謝され、尊敬されるということも、
保健ボランティアさんたちの活動の原動力になっているのです。

日本では、駅前に放置されて、誰からも引き取られなかった自転車。
その自転車が、現地では「命の足」とも呼ばれています。^^

 ◇    ◇    ◇

【元祖スリング?】
最近、日本でもよく見かけるスリング。
タンザニアでは「カンガ」と呼ばれる、カラフルな布をあらゆることに駆使しています。
カンガはスカートにもなるし、頭にぐるぐる巻く帽子のようなものの代わりにもなるし、
↓のようにスリング風にしたりしています。

日本のスリングのように、金具なんて付いていませんけれど、
本当に布一枚で、くるくるっと赤ちゃんを上手におぶっている(横抱きもあり)んですよねぇ。
模様や色も本当に多くの種類があり、タンザニアの女性、本当におしゃれさんなのです!

タンザニアでの出産キット!

随分と日数がたってしまい、本当に申し訳ありません!
今日は、タンザニアの出産についてお話したいと思います!

タンザニアのキリマンジャロ山のふもとにあるモディオ村に行きました。
ジョイセフからのホワイトリボン募金や愛・地球博の万博で 集めた募金などから、
こうした伝統的助産師さんのトレーニングが行われています。

さて、突然ですが、ここで問題です。
この↓にある写真は、一体何の写真でしょうか?


これは、実はこの村で昔使っていた出産キットなのです!
何を使っていたかと言うと…

① 出産時に下に敷く、動物の皮。

② へその緒を結ぶバナナのつる

③ ナイフ (かなり錆び錆びですね~)

④ ナイフを研ぐ石 (そこらへんに落ちているもの)

⑤ ハーブの葉

出産の介助に立ち会う時にも、手を洗いません。

血まみれになる出産ですが、牛の皮は洗って再利用します。
感染症になる確率もばっちりですね!

ナイフは錆び錆びです。
研ぎ石も、どう見てもそこらへんに落ちているものを拾ってきただけでしょう。
こんなのでおへその緒を切るのか!!!
お母さんや赤ちゃんが破傷風になって亡くなってしまいますよね…。

そして最後のハーブは、これは赤ちゃんが生まれた時に息をしていなかったら、

このハーブを口の中で噛み砕いたものを、赤ちゃんの顔に吹きかけるのだそうです。

さて、次に出産キットの第2ステージを紹介します。

① 石鹸

② 手を洗うためのミネラルウォーター

③ コーンの茎。(爪の間を洗うためのもの)

④ おへその緒を切るためのカミソリ

⑤ バナナの葉 (下敷き)

⑥ アルコールランプ (家の中が暗かったり、夜間や明け方の出産のため)

⑦ へその緒を止血のために縛る布きれ

⑧ 瓶の中に入ったメイズと豆と小石

さぁ、だいぶ発展してきました。
手を洗うようになり、衛生概念が育ってきました。

出産の際に下に敷くものも、何度も再利用するのではなく、
使い捨てに出来るようなバナナの葉になりました。

でも、おへその緒を切るためのカミソリは、使い捨てではなく、
再利用されています。まだまだ危険が残っていますね。

さて、この⑧の瓶の中に入ったメイズ(とうもろこしの粒)と豆と小石。
これは一体なんなのでしょうか???

これは、文字の読み書きが出来ない伝統的助産師さんたちが、
統計を取るために使用していた、大切な道具です。

自分が出産に1回立ち会ったら、石ころをひとつ入れます。
お母さんと赤ちゃんが、二人で元気に生まれたら、メイズと豆を入れます。

そして。
お母さんが亡くなったらメイズを、赤ちゃんが死んだら豆を2つに割って入れます。

自分が一体何人のお産に立ち会ったのか。
何人の赤ちゃんが無事生まれ、何人のお母さんが無事に出産したのか。
そして、一体何人のお母さんと赤ちゃんが、大切な命を失ったのか。

そうした数の統計を取るにも、彼女たちは文字が書けません。
ですから、このようにして、伝統的助産師さんたちは、
石ころやメイズ、豆の入った瓶をヘルス・センターなどに持って行くのです。

そして最後に、出産キットの第3ステージ。
伝統的助産師さんたちのトレーニングも完了し、正しい知識を取得しました。
今までやってきた出産がいかに危険だったのかが分かり、
ジョイセフからの支援で、出産キットも揃いました!

① 石鹸

② 使い捨てカミソリ(使い捨て)

③ ゴム手袋 (出産介助時の)

④ 下に敷くビニールシート(使い捨て)

⑤ へその緒を止血するための鉗子

⑥ 出産に関する注意事項等のパンフレット

⑦ 出産後、赤ちゃんをくるむための綺麗な布

⑧ 出産を記録するためのノート(この頃には字も書けるようになりました~!)

最初の頃から比べると、かなり画期的になり、
お母さんたちが衛生的な環境で出産が出来るようになりました。

とは言え、日本から比べると、かなり簡単なセットですよね…。
私は出産の経験はありませんが、出産の経験のあるみなさん、
これで出産しろと言われたらどうですか?

日本のお産事情も含め、是非お教え下さいね!

◇     ◇    ◇
現地のトレーニングを受けた伝統的助産師さんたち。

母子保健活動の意思を表した歌を歌ってくれました!

2007年12月26日水曜日

タンザニアで出会ったおばあちゃん

(すみません!!!! 前回からかなりの時間がたってしまいました。。。
年末の仕事でかなりバタバタしておりました。申し訳ありません。)

============

タンザニアの北西部にあるビクトリア湖に近いマラ県ムソマ郡にあるムキリラ村。
ビクトリア湖と言えば、映画「ダーウィンの悪夢」の舞台となった地です。

一人のおばあちゃんに出会いました。
彼女の名前はアナスタシア・ニャブレゲシさん(73歳)。

女性の平均寿命が44.1歳のタンザニアで、
73歳って言ったら、かなりのご高齢です。

このおばあちゃん、5人のお孫ちゃんを育てています。
この5人のうち、3人はアナスタシアさんの娘さんのお子さん、
2人は息子さんのお子さんです。

なぜこのアナスタシアさんがお孫さんを育てているかというと…
娘さんも息子さんもエイズで亡くなったためです。 9歳、4歳、2歳と3人の息子を残した娘さんは結婚をしていませんでした。
3歳の息子と2歳の娘を残した息子さんは結婚をしていたものの、
彼の妻は出産の際に亡くなったそうです。

自宅で出産をしようとしていた時、大量出血になり、
異常に気づいて、急いでクリニックに運んだのですが、手遅れでした…。

クリニックは10kmも先にあり、歩いたら軽く2時間はかかります。
実際に、タンザニアにおける妊産婦死亡率の大きな原因は「手遅れ」であると
言われています。
アナスタシアさんは、じゃがいもやキャッサバと呼ばれる
タピオカの原料になっているお芋を育てています。
言い換えれば、この岩の多い痩せた土地では、それらの作物しか育たないのです。

週に1回、彼女はバケツ1杯の芋を知人に頼みマーケットへ売りに行ってもらいます。
それを売っても50円~100円。

つまり、彼女の月収は300円にも満たない程度です。
世界の絶対的貧困の基準は1日1ドル以下で生活をしている人のこと。
アナスタシアさんの場合、300円で彼女と5人の孫が生活をしているわけですから、
一人、1か月1ドルにも満たないわけです。

もちろん、彼女たちは、自らが作ったお芋も食べています。
でも、お芋だけでは栄養のバランスが良くないのは明白ですし、
彼女たちが生きていく上で、必要なのは食事だけではありません。
洋服や、靴、その他日用品を購入するためのお金も必要です。

しかし、彼女の収入では、それがいかに難しいかということを
想像するのは難しくありません。

洋服なんて、もってのほかです。
洋服は、必需品の中でも、後回しにされがちなものだからです。
なので、この村の孤児たちは、そのほとんどが、
ボロボロで穴だらけの服、または体に合わない服を着ていました。

そして着替えがないために、服を頻繁に洗うこともままなりません。
でも、汚れた服を着ていることで、皮膚病になったり、
汚れた服を着たお母さんの母乳を飲んだ赤ちゃんが、
下痢になってしまうことも少なくありません。

そこで、ジョイセフは、日本救援衣料センターというところと協力をして、
タンザニアに救援衣料を送っています。

この村にも、私たちが訪れたこの日、救援衣料が届けられました。
この衣料をもらえるのは、この村で何らかの理由で
両親を亡くしてしまった孤児たち。

社会の中だけでなく、家庭の中においても一番後回しにされるのは、
アナスタシアさんたちのような女性や子どもです。

この日、救援衣料は子どもたちに直接手渡されました。
そうやって一人一人、大勢の人がいる前で手渡さなければ、
子どもたちの手には渡らない可能性があるからです。

子どもは100人以上いますので、気が遠くなるような作業です。
でも、社会の中で後回しにされているような人たちに
支援がきちんと届かなければ意味がありません。

「ムワコンディア」

この村の部族が使う言語で「ありがとう」
そう言いながら、子どもたちは嬉しそうに衣料を受け取ります。

日本では、Tシャツひとつにしても、
何着もあるのが当然の世界。

シーズンが来るたびに、ついつい買ってしまうお洋服。
結局ほとんど着ることなく、タンスの肥やしになっていたり、
捨ててしまうものも少なくありません。

「豊かさ」って何なんでしょうねぇ。

◇   ◇   ◇




この村で出会った20歳の妊婦ノシさん。
クリニックが遠いため、自宅で出産する予定だそう。
ノシさんはこの時7か月。
無事にノシさんも赤ちゃんも生まれたのか、気になります。

2007年11月29日木曜日

タンザニアってどんなとこ?

すぐに書こうと思っていたにも関わらず、時間が空いてしまってすみません。

さて、タンザニア。

タンザニアと言われて、その場所がピンと来る人は少ないのではないでしょうか。
そもそも、タンザニアって・・・どこ?
アフリカであるというのは、わかるけれど。

でも、タンザニアではピンと来なくても、
キリマンジャロと言えば分かる人は多いと思います。

キリマンジャロと言えば、ヘミングウェイの小説の中にも出てくるし、
なんと言っても、キリマンジャロ・コーヒー。
誰しもが、耳にする、もしくは口にしたことがあるのではないでしょうか。

タンザニアは、キリマンジャロや、それこそ多くの方が 「アフリカ」と言われて 思い浮かべるであろう、サバンナとライオンやシマウマやキリンと言った野生動物がいる 複数の国立公園がある、自然豊かな国です。

(アフリカの全土にキリンがいるわけじゃないんですよ~。本当に限られた地域のみです^^;)

まさに、私たち日本人が多く思い描く、アフリカOFアフリカ!

国土は日本の約2.5倍。
人口は日本の約30%弱。

(…こう考えると、日本って本当に人口密度高いですよね…。)


他のアフリカの地域に比べ、タンザニアは政治的にとても安定した国です。
それにも関わらず、妊娠や出産が原因で亡くなる女性の数は日本の260倍。
政治的に安定しているからと言って、妊産婦さんたちが亡くなる数が、
簡単に減るものではないようです。

さて、タンザニアに関する簡単な紹介はこんなところまで。
次回は、いよいよタンザニアで見てきたもの、聞いてきたものをご紹介していきます!
 ◇   ◇   ◇ 

タンザニアの一番大きな都市ダル・エス・サラーム
(なぜか首都ではない^^;)に着陸するぞ~というとき。
真っ青でエメラルドグリーンの海!

私はアフリカ大陸に足を踏み入れたことはあったものの、 タンザニアは初めて!
正直アフリカでエメラルドグリーンの海って 想像していなかったので、そのリゾート地のような綺麗さに驚きました!





そしてタンザニア、虹が出るわ出るわ!
一体何個の虹を見たかしら?というくらい。
しかも虹の全景が見えてブリッジ型になっているのが見える上、 虹が二重にかかっている、ダブルレインボー、見ました。





ちょっと見にくいですが、ダル・エス・サラーム市内には日本からの中古車もたくさん走ってます。
これは乗合バス。
『ようちえん』と書いてあります。
日本の幼稚園バスだったようです。笑

2007年11月13日火曜日

はじめまして!

みなさま、こんにちは!初めまして。
chicoと申します。

ジョイセフでは何をやっているのかと申しますと…
一言で申し上げるのが大変難しいのですが、
国内でみなさま(個人、企業等)からご支援頂いたもので、途上国の支援をしている部署です。

いわば、日本社会と途上国の橋渡し的な位置かもしれません。^^

日本の方からご支援頂いている内容としては
例えば・・・・
1) 使用済み切手やカードなどの収集ボランティアによるご支援
2) チャリティ・アイテムご購入による支援
3) 募金によるご支援
4) ランドセルや学用品等の物資+輸送費支援  etc.etc.

これらの日本からのご支援によって途上国で
世界の母と子の健康と命をまもるホワイトリボン
の活動を行っています。

先月は、タンザニアに出張に行ってきましたので、
ジョイセフのホワイトリボンのプロジェクトが実際にどんなものなのか?
そして、現地の様子についてお伝えしていければなぁと思っています!

つたない文章で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします!
今日のところは、まずご挨拶まで。

2007年11月5日月曜日

子育てお母さん恐るべし!?

さて、子育ての一環としてうちの嫁さんがやっていることについてちょっと書いてみます。

何をしているかというと、、、子育て支援などお母さんを支援する活動や機関紙の発行を通して、生活に密着した問題についてお母さんたちに知ってもらい、一緒に考え、そして政治へ働きかけて行こうという活動をしているNPOの会員として、いろいろやっているようです。

ここでいう生活に密着した問題というのは、例えば、小学校を30人学級にすること、乳幼児の医療費支援の給与の上限を撤廃すること、子どもの医療費支援を高校生まで引き上げること、児童保育の拡充など、特にお母さんとなって初めて実感するようなそんな問題です。

NPOの活動でぼくが面白いなと思ったのは、子育て支援のいろいろな活動を会員のお母さんたち自身で企画し実行するというところです。例えばうちの嫁さんの場合、週一回、公民館で幼児サークルを開いて子どもたちとお遊びをするわけですが、どんな遊びをするか、私はあれができる、私なら何々と、参加するお母さんが自分ができることを自発的にやるわけです。強制はありません。参加費はひとり数百円でほとんど材料費で消えてしまう程度のお金です。

ここで大事なのは、このサークルの前代表(本人曰く、下っぱの下っぱ)のうちの嫁さんが言うには、「みんなが自主的に企画してできることをできる人がやることで、自分は1人じゃないんだよ、お母さん一人じゃなくて子育てはみんなでやればいいんだよというメッセージを伝え、お母さん同士の結びつきを作っていく」こと、だそうです。

その他、うちの嫁さんがやっているのは、キッズ英語。幼児を中心に小学校低学年まで、歌って踊って楽しく英語を勉強しよう!というクラスだそうで、こちらは嫁さんが中身を考えてやってます(さとうも嫁さんが訳した絵本の英語のチェックとかで少し強制的に自主的に準備を手伝ってます…)が、ここでもメッセージは同じです。

NPOでは、こうした子育て支援から、対象も乳幼児から高校生・大学生まで、高齢者支援にいたるまで、いろいろな活動を会員のお母さんたちが自分たちで企画して実施していて、その過程でお母さん同士のコミュニケーションの中で今の社会を考えていく、、、そして必要なら署名活動をして市長や市議会議員に直接訴えていく、ということで、、、子育てお母さん恐るべし、です。

最後に、このような活動をやっていく中で、嫁さんが難しいと思ったこと、感じたことを二つほど。それは、安易な方向を選ぶお母さんが増えているということ、だそうです。安易なこととは、例えば、幼児サークルといった試みはいろいろな所でやっているわけで、自分も企画に参加してできることをやるという、ある意味、無償の労力を提供する参加型サークルより、誰かがすべてお膳立てしてくれてお母さんは子どもを連れて来て遊ぶだけでいいというサークルに流れていくお母さんが少なくないそうです。

もう一つは、身近な生活に密着した問題について不満を口にはするものの、行動を起しても何もかわらないだろうと井戸端会議だけで満足してしまう、無関心型のお母さんが、これも少なくないということ。こういうお母さんたちの関わりをどうやって作って促していくか、、、が嫁さんの今の課題だそうです。

いやあ、繰り返しになりますが、子育てお母さん恐るべしです。
子育てお父さんがここまでできるか、、、少なくともさとうは自信がありません。公園でブランコの順番を守らなかったり、お砂場で人のものを取ったりするような子どもにはよその子でも怒ったりはしますが、せいぜいそこまで止まりで、「社会」を変えようというところまでは、、、考えが及んでいないというのが正直なところです。そういう意味で、うちの嫁さんはすごいことをしているなと、尊敬して応援しています。時々晩ご飯のおかずが一品しかなくても許してやろう、、、と。

でも、たとえNPOに参加していなくても、お母さんたちは日常生活の中で、多分無意識に、さも当たり前のように、お母さんにやさしい社会(=人にやさしい社会!)の実現に向けて、「何か」をやっているんでしょうね、、。

マザー・ディクショナリーのお母さんのみなさんはどうですか?

2007年10月12日金曜日

子育てお母さんの奮闘

みなさん、こんにちは。
今回ブログメンバーで唯一の少しは子育てしている(つもりの)パパとして、パパの視点から、あえてこんなタイトルで書いてみようと思います。

そもそも、日本の文脈でよく使われる、子育てへの「参加」とか「協力」とかいうような言い方はあまり好きではありません。男性が子育てすることは、女性が子育てをしているのに参加するものでもなく、嫁さんの子育てに協力するものでなく、男性がすべきこと、したいと思うことをやるという当たり前のことだと思うので。ここまで書くと、さとうはやるべき子育てを100%完璧にこなしているかのような印象を、持たれてしまうかもしれませんが、そんなことはないです。よく嫁さんに、「家族計画国際協力財団(ジョイセフの正式名称)で働いているのに嫁さんを大事にしない!子育て放棄!訴える!」と怒られます。「じゃあ、ジョイセフの相談窓口のさとうさん、内線○○○に電話しなさい。」と切り返すことしかできないさとうなのです。

妊娠・出産の先にある子育て。お子さんがいるみなさんは既に経験済みでしょうが、子育てを始める前に想像していたイメージとは結構違うことがありますよね。例えば、公園デビュー。幸い、うちの嫁さんは外向的で人付き合いをそれほど苦にしないタイプだったので問題はなかったらしいですが、人付き合いが下手だと思っていたり、育児疲れで精神的に不安定になってたりすると、決して小さいことではないかもしれません。

そして、同じ年頃の子どもを持つお母さんたちとのつきあい。結婚したときにももちろん世界が広がりますが、子どもができると更に世界が広がりますよね。幼児サークルとか保育園・幼稚園。それまでは、あのお母さんは合わないからあまりつきあわなくてもいいと避けることができたのが、子ども同士が仲良しなので、本当は気がすすまないけど避けられなくなるということも多いと思います。これが仕事であれば、利害が絡むがゆえにお互いに割り切ってつきあうことができますが、お母さん同志のつきあいは利害が絡まないがゆえに、余計大変だと思います。

こういう時、お父さんは何ができるか。悩みます。特に家族計画国際協力財団で働くお父さんとしては。なるべく無理はするな、ほどほどにつきあえ、本当に理解しあえるお母さんは少しいればいい、子育てのお母さんグループにのめりこむな、自分のグループを持て、云々。とはいえ、今の世の中、正直者がばかを見るというか、理不尽だろうが何だろうが声を大にした人間の言うことが通ってしまうような社会や人間関係が増えている中、子育てお母さんの苦労は並大抵ではないと思います。お父さんができることは、月並みだけど結局は話を聞いて一生懸命考えることぐらいしかないのかなあ、と思う次第です。

2007年9月21日金曜日

切迫早産の話

こんにちは、さとうです。ずいぶん日にちが経ってしまいました。今日は身近な話題について書いてみたいと思います。とはいえ、本当に身近な話でうちの嫁さんの出産の話です。

「切迫早産」という言葉をたぶんみなさんご存知だと思います。治療をせずにほっておくと早産になってしまうという状態のことで、病気として扱われます。うちの嫁さんがまさしくこれで、それも絶対安静の症状でした。(見た目は頑丈なんですけどね、、。)上の娘と下の娘の妊娠の時、両方とも切迫と診断され、即入院。絶対安静ということで、お腹の張りを押さえるために24時間ウテメリン点滴の状態がもういつ出産してもいいよとお医者さんに言われるまでの3ヶ月間続きました。

そして、出産。1人目は立会い出産をしました。3ヶ月間、不安の中本当によく辛抱して、無事3000グラムを超える女の子を出産。言葉では表現できないくらい大きな感動でした。一つは命の誕生に対して。そして、もう一つは、嫁さんに対して「本当によくがんばった」という思い。「よくがんばった」を何回言っても足りないくらい「よくがんばった」。

2人目の時は、切迫となることを既に予期していたので心構えができていたというか、嫁さんが言うには、母親の自覚を1人目の出産の時より強く持てていたので、何が何でもお腹の子を十分に大きくして出産する!という決意が大きかったそうです。

うちの嫁さんは、日本だったからこそ無事に出産できました。これが、もし途上国だったら無事に出産できなかったと思います、、、ちなみに、これが、僕がジョイセフに入ることになったきっかけです。